場面は少し前に戻る。
士郎を傷つけられ、ライダーまでも失うのではないかという恐怖に晒されている桜の精神状態は限界の状態だった。
「桜、安全な場所に逃げてくれ」
背中の激痛に耐えながら、それでも回復し始めている背中の状態を確認して士郎は桜を見た。
怪我を抱えて辛いはずの士郎は笑みを浮かべている。
桜にはそれがかえって痛々しく見えて、耐えられるものではなかった。
未だに続くセイバーとギルガメッシュの応酬。
直線の攻撃を繰り返していくセイバーと、縦横無尽な攻撃を繰り出すライダーを相手にするギルガメッシュにはまだまだ余裕があるようだった。
セイバーはさほど脅威には思っていなかったが、ギルガメッシュの傍らに浮かぶ鎖…言うまでも無くかの有名なあの鎖を、ライダーは警戒していた。
彼女もまた、かつては女神の扱いを受けた存在である。
もともとは神族であり、姉二人は現在においても神の中に名を連ねている。
少しでも経歴に神性があるのならばその鎖は威力を発揮する。
ライダーが警戒するのも無理は無かった。
数え切れないほどの欧州を経て、いよいよセイバーが後退し始めた。
無尽蔵に攻撃を繰り出す…しかも本人は体力を使うような行動はしていない状態とあっては、体を使って攻撃を受けるセイバーとの消耗の差は大きく開いていた。
英雄王の名は伊達ではない。
だが、その余裕のある姿が、桜の中の負の感情を刺激し続けていた。
じりじりと迫ってくる影の気配。
自分の属性の影ではなく、深淵から湧き上がるような闇。
抑えられなくなる感情に流されないように抑え続ける桜の精神もまた、同じように後退していた。
残るのは一握りの良心。
何かが壊れれば抑えきれない。
そのスイッチを入れてしまったのは誰だったのか。
気がついた時には感情の箍は外れ、桜は黒い衣装を纏って闇に沈み行く英雄王を見下ろして笑みを浮かべていた。
闇に飲まれたのは一人ではない。
セイバーもまた、闇に体が飲まれつつあった。
「サクラ、気を確かに持ってください!!」
本来の桜を取り戻そうとするセイバーの声。
それすらも今の桜には心地よい悲鳴にしか感じない。
白と黒がひっくり返った桜を見て、士郎はどうしたらいいのか分からなかった。
ついさっきまで桜は自分の横で流れてくる攻撃から避けていたはずだ。
それが、何故ー
士郎は気付いていなかった。
自分が怪我を負えば負うほど彼女が感情を失くしている事を。
あんな人、いなければいいのに。
一瞬浮かんだその感情が、スイッチとなって彼女はひっくり返った。
「桜…?何で」
やっと絞り出した声に、桜が振り向く。
虚ろだった瞳に光が戻って、桜は自身のしてしまった事に気付いた。
「…うそ…私…私」
少し、思っただけなのに。
支離滅裂な言葉。
「サクラ、元に戻れますか…?!」
ライダーが側に近寄りながら声をかける。
「こないで!コントロールできないの…ライダー、先輩を連れて逃げて」
近づいてきたライダーに、桜の足元の影は波打つように攻撃を仕掛ける。
それを紙一重で交わしてライダーはしばし考え、頷く。
「分かりました、サクラ。リンに助力を求めます、それまでは気を確かに」
それはライダーの本心からの言葉。
桜を助けたいと言うライダーの思い。
けれど、桜はその言葉に首を振った。
「サーヴァントを二人も飲んでしまったら制御できない。もう、戻れないから…先輩を守って」
点滅する桜の瞳の光を見て、ライダーは覚悟を決めた。
怪我をして満足に動けない士郎を抱えて、ライダーはその場を脱出した。
「おれは…桜を諦めない」
苦々しい表情を浮かべて呟く士郎に、勿論ですと返してライダーは思った。
どんな風に説得しようとしても桜はきっと助かる道は選ぼうとはしないだろう、と。

続く