笑顔が、真顔に変わる。
あの時と同じ、真剣な表情だ。
これから言うことはきっと、先輩にとっては大切なことなんだろう。
「……何です?」
聞いたら、間違いなく私はイエスと答えなければならない。
でも、それでも聞かないわけにはいかなかった。
お願いの内容が、気になったから。
先輩は私の言葉を聞いて、少しだけ表情を崩した。
「名前で呼んで。苗字じゃなくて名前で」
名前。先輩の、名前。
告白を受けるまでは、呼んでいた名前。
「それがお願いですか?」
真顔でお願いされるほどのお願いには思えないけど。
見つめてくる先輩の視線は真剣そのものだから、本当に拒否権は無い真剣なお願いなんだと分かった。
「凄い大切なお願い。是非」
そこまで言われたら、呼ばないわけにはいかない。
きっと、同じ理由で呼んで欲しいと思ったんだろう。
私が名前で呼ぶのを辞めたのは他人行儀な感じで距離を取りたかったから。
先輩はそれが嫌だから名前で呼んで欲しいといったのだろう。
「いいですけど、私のお願いも聞いてもらえますか?」
交換条件にしてはおかしいかなとは思ったけれど、この際だから。
「内容によるかな」
先輩としては交換条件で付き合うことはありませんとか言われたら困ると思っているのだろう。
「大丈夫ですよ、簡単なことですから」
表情を強張らせて、先輩は私の言葉を待っている。
「頭撫でないで下さい。それを守ってもらえるなら名前で呼びます」
頭を撫でられるのは本当は嫌いじゃない。
<だけど、これ以上感情がコントロールできなくなったら困る。
触れられたら加速してしまいそう。
「分かった」
渋々といった感じで先輩は頷いた。
「私の方も了解です、葉月さん」
八月生まれの先輩の、なんのひねりも無いと笑って話してくれた名前。
「何で撫でちゃいけないの?」
「それは…子ども扱いされてるみたいで嬉しくないからですよ」
表面上の理由で返す。
私的にはそれ以上の理由も、それ以下の理由も無いつもりのいい訳だった。
「それってさ、俺に子ども扱いされたくないって思ってるってこと?」
「え?いや、全体的に」
考えてもいない質問に、戸惑う。
慌てて繕った答えは微妙なものだった。
「蒼葉にそんなことしてるの、ここだと俺だけだと思うけど」
中学時代には撫でる人もたくさんいた。
でも、高校に入ってからは先輩一人。
当たり障りの無い答えだと思っていたけれど、まずかったらしい。
「嫌ならさ、触らないで欲しいって言っていいんだよ?」
鋭いけれど、微妙に捕らえ方の違う先輩の言葉に、私はパニックになった。
「嫌ってわけじゃないですよ?ただ、撫でるのはって言っただけで」
「でも、そういうタッチがだめって事は嫌って言ってるように聞こえるけど」
先輩は真顔でそう返してきた。
完全に誤解してる。
「ですから、触られるのもタッチも嫌じゃないんですよ。ただ、触れられるとちょっと都合が悪いと言うか…」

続く